次の25年
2011/8/20 13:29
8月6・7日のスタッフ合宿は無事終わり・・・、珍しく本日、土曜日はレストランではなく
本社で、お母さん業界新聞の9月号の原稿を書きあげました。
合宿では、高野雅夫先生の千年持続学ゼミ講座をしていただき、
森スタッフの感想をもらって、そういうことよ、とうなずく。
一部ご紹介。
「千年」というと、自分にはもうイメージできない時間。石になったとして考えてみてもせいぜい100年ぐらいまで。ほとんど「人智を超える(手におえない)」「死後の世界」のイメージ。
その「人智を超える(手におえない)」ことが重要なんだと思う。たとえば原発。
「手におえんなぁ」と思うと、謙虚になれる。
原発も、海の環境問題も、「再生可能な循環」をこわすのが、「再生不可能」「トイレがない」なのに「外からの大量投入」ということで一致していることがよくわかった。
「ずーっとぐるぐるまわって(再生)終わりが無い(持続)」のが、千年続く仕組み。
だれかがすごく気をつけなくても、自然にぐるぐるまわって終わりがないもの。自然のいとなみ、
いのちのしくみそのもの、だと思う。
人間がたくさん生きていることがすでに不自然だけれど、それを自然の営みに近づけないと、
将来も生きていくことは不可能(行き詰まって滅んでしまうだろう)。
生きていくためのあらゆる方策(食べものづくり、住まい方、エネルギー、政治経済)を、いのちのしくみに沿ってつくることが、人間が生き延びていくために必要なんだ。
ということが、ひしひしと感じられた。
放射能とともに生きていくしかない、そのための提案をしていくこと。術をつくること。森さつき
感受性豊かな森スタッフ(笑)
よく彼女の原稿や取材記事を校正するんですが
この文章が、この1年くらいの間で一番、鋭い。
311以降、彼女なりに、苦しんでいたからだろう。
放射能とともに生きる、ということ、
それは3月11日以前の世界、そして空気、社会と、違ってしまった、ということ。
私もそう思っている。
7日の朝食の時に、高野先生とスタッフとしゃべていて
「放射能と、コミュニケーションしていく」という言葉が出て
(誤解なきよう、原発を受け入れるというスタンスではないので)
正しく恐れる、という言葉とたぶん似たイメージですが、
その術をつくることを、にんじんスタッフとともに、
長い長い道のりかもしれませんがあきらめず、
次の25年の根底のテーマになっていくと、思います。






